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静岡県静岡市のリフォーム会社『ライファ弥生(リフォーム歴30年)』

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スイスだより
趣味の山歩きを兼ねて長女が嫁いだスイスを頻繁に訪れた近藤美佐子さん(元中学校教諭)による教育と紀行のエッセーです。教員の方に人気です。
スイスだより 本のご紹介
「スイスだより」
近藤美佐子著  出版:羽衣出版
1500円(税込)
2006年10月発売

羽衣出版のページより本をお買い求めできます。
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第7回
7 しきたりを守る (第22号 1996.7.1発行号より)

 昼近くに道路に出るとよく学校帰りの子供達を見かけます。もう授業が終わったのかといぶかる私に友人が次のように説明してくれました。  「学校では午前中の授業が終わると一応子供達は帰宅して昼食をとり、休憩してからまた登校します」。何と不合理な。
  給食でもお弁当でも用意して学校で食事をとれば時間のロスもないし、交通事故のような問題も起こらないで済むのに。これは日本人ならごく普通に考えることだと思います。
  子供達の帰宅は学年によって差があり、友人の子供は小学1年、3年、中学1年なのでそれぞれ10時、11時、12時で2時間後にまた出掛けます。この時間には父親も帰宅して家族が揃って食卓を囲み、朝の出来事などを話しながら賑やかに食事をします。これは家族を大切にする昔からのしきたりで、朝、夕食より昼食に十分に栄養をとって胃腸に負担をかけないという健康への配慮もあってのことです。
  日本のように食事時になかなか家族全員が揃わない現状を私達は仕方がないと思いつつ気にしながら暮らしていますが、そこにこだわるのがスイスなのです。
  この昼食時の帰宅はドイツやフランスでも実施している地域があって、私も昼時にドイツの郵便局が閉まっていて重い小包みに戸惑ったことや、カナダのケベックの骨董屋では店内にいた客に英国系の女主人は「私のティタイムだから店を閉めます」と断ってドアに鍵を掛け、2時間の休息をとったことを思うと、何と不合理なことかと驚くよりも、働くことと自分を大事にすることへの心憎いまでのバランス感覚を学ぶべきでしょう。
  この時、彼女は客のいなくなるのを見計らって私に本場のアールグレイを古いロイヤルアルバーターのティカップに注いでにっこり笑って差し出しました。
  これは少々あっけにとられていた私を喜ばすに十分なサービスでした。毎日あくせくと寸暇を惜しんで働くより、適当な収入があればそれ以上の無理をしない彼等独特の人生哲学がそこにあるのです。 
  スイスでは、市役所、郵便局、銀行、学校等の公的機関は昼休みを2時間とりますし、一般商店の扉には1週間の細かい営業時間が明示されています。例えば、あるマーケットは土曜日の午後5時以後と日曜日、祝日は休み、月曜日は11時開店で夕方は18時まで、木曜日だけは20時まで営業するなど、日によって違いがありますからよく注意する必要があります。
  しかし、これでよく経営が成り立つものだと感心させられるのは私ひとりではないでしょう。
  米国企業に勤務した経験のあるスイス人が、「アメリカ人は収入の多い仕事があれば遠くて通勤に時間がかかっても平気だけれど、スイス人は昼食に帰宅できる距離を考えて職場を選びます」と話してくれたことを思い出します。
  日本も毎日ラッシュの中を通っている企業戦士のいることや、世界からワークホリックと悪口を言われることを思うと反省せざるを得ません。
  最近の近代化の影響と物価高のこの国でも女性の社会進出は自然の成り行きになってきましたから少しずつ変わると思いますが、こういう根強い習慣はまだまだ続くことでしょう。
  のんびりと山道を帰る子供達の姿や、幼子を乳母車に乗せたり手を引いたりしてゆっくり買物をする若い母親がいつも街の中に見受けられること、色とりどりの草花や緑豊かな公園で太陽をいっぱいに浴びて子供達と遊ぶお母さんの姿はとても微笑ましいものです。
  私も殆ど毎日、孫と日光浴を兼ねてあちこちの公園に出掛けましたが、公園内がよく整備されている上にいつも静かで、ゆったり自分達だけの時を過ごすことが出来る幸せも味わうことが出来ました。このゆとり、この子育てが、子供達だけでなく母親達への何よりのご馳走だと思いました。
・・・次回へ続く・・

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第6回
6 弱者に優しい (第21号 1996.4.1発行号より)

 2月15日付朝日新聞朝刊、「ベビーカー『手かして』」の「ひととき」欄の反響を読んで、
日本だなあと改めてびっくりしました。
日本では、歩道、交通機関の乗降場、駅など、公共の場所の至る所に段差や階段があります。
  私も飛行場への宅配便のない頃には、スーツケースを持って東京駅や静岡駅の階段に苦労しましたが、
子供連れの外出で一番困るのはこのことです。
  紙上では当然と甘えだという2つの意見がのべられていましたが、
私は全ては人権についてどう考えているかの行政にかかわる問題だと思います。
静岡でも福祉施設の内部構造や設備について、実際にそこを利用することの多い身体の不自由な方々が
改善を申し出て問題になりました。
  建物や道路には、私共健常者には気付かない不都合や不便は多々あるものですから、そこを使う人、
通る人の身になって設計施工することが弱者に優しい行政だと思います。
  ひと所でそういう工夫や努力が行なわれますと情報化時代の昨今では、評判の良い事は取り入れて
付加価値のある作品や建造物にしようという世間の風潮も生まれるものです。
  政治、経済、教育、文化などあらゆる面に携わる方々が、一方的な見方や考え方だけに捉われないで
多面的見地に立って、将来を見通した配慮をして町づくりをして欲しいと思います。
  この記事の中にも「ドアは後から来る人のために開けて待っているのが流儀」の国のアメリカや、
フランスに住んだことのある人達からは、「人が困っている時手を貸してくれる人が皆無に近い日本の現実は、
根本的に住みやすい国とは言えない」というご意見がありました。
  そこで私もスイスの実情をお伝えしたいと思います。
この国では、街の中の道路は勿論、毎日出かける森の散歩路まで段差や凹凸、石ころや倒木の類まで
常に市役所の各区域担当者がパトロールして取り除き、歩きやすく整備しています。
  私もよく孫を乳母車に乗せて外出しましたが、一般道路で不便を感じたことはありません。
  というのは、階段があれば必ずその近くにはスロープがありますし、駅舎やマーケット等あらゆる人の集まる
大きな建物の屋内には、エレベーターやエスカレーター、歩く舗道が付いているからです。
それらは、判りやすく図示されていて、言葉の判らない人にも判断がつくようになっています。
両替、電話、トイレ、タクシーやバス乗場、プラットホームのb竏ト内所なども一目瞭然ですから安心です。
  孫と一緒に、バス、電車、ケーブルカーやロープウェイと種々の乗物によく乗りましたが、
特にやっかいなのは空港やマーケット内のエスカレーターです。
でもカートの下の部分がエスカレーターにカチッとはまるので大きな荷物を持っての上り下りも安心です。
下りは急な勾配ですから一見荷物が落ちてしまいそうな錯覚を起こして慌てますが、
手かけをしっかり握っていれば大丈夫。
  次に電車やバスですが、乳母車や車椅子を乗せるのに便利な低床式でそのステッカーが貼ってあるので
容易にわかります。
最近の扉は左右に開く観音開きになっているので車椅子や乳母車を持ち上げて出し入れするには
充分な幅があります。
  私ひとりでの乗り降りの時には一瞬どうしたものかと思案しますが、何の心配もいりません。
いつも、どこにも、誰か手を貸してくれる人がいるものです。
大体、男性女性に限らず、すぐに近づいてひとりで車を持ち上げて運んでくれます。
乗客がいなければ駅員やバスの運転手がそれなりの手助けをしてくれます。
  運転席に居る時も彼等はバックミラーで乗客の乗降の様子をチェックしているからです。
駅員は駅全体の人の流れをよく見ています。
  ある時、一人の運転手が、私の乳母車の折畳みがうまくいかずバスの車体の側面スペースに納まらないので
困っていると、3、4人の駅員が走って来て上手に始末してくれました。
私はバスの窓からその様子を興味深く見ていました。乗客は何もする必要がないからです。
  車内に乗り込むとドアの近くに必ず車椅子や乳母車を置く所定の場所があります。
電車の場合には脇にスタンド式の座席も付いていますから、そこに腰掛けても良いし、
車だけ置いて別の車輛の席をとることも出来ます。
  面白いことに列車の車種によっては子供達用のプレールームの車輛を連結していて
ジュータンを敷いた床にはおもちゃや遊具も付いていました。
  人それぞれのニーズに合わせた対応のあることを教えられたインタナショナル・ベビーシッターでした。
・・・次回へ続く・・

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第5回
5 インタナショナル (第20号 1996.1.1発行号より)

 「美佐子!」突然の声。振り向くとサンドラの笑顔。わっと走り寄ってきて抱きついた。
ブラジルから来た彼女とは1994年の独語学習クラスの同級生。今年もまたバーデンで逢えました。
「美佐子、逢えてうれしいよ。また来たね。私もボーイフレンドに逢いに来たの」
早口のポルトガル語がそう言ったように思えました。
  昨年の6月、私はバーデン市にある語学学校に通いました。
とにかくドイツ語がしゃべれるようになりたい一心で、全く予備知識もなく言われたクラスに入って黙って
椅子に座ったのです。周りはもちろん誰も知らない人ばかり。日本人は私ひとり。
アジア系は台湾から来たメリ・リン25才だけ。英語は彼女とアメリカから参加した青年ジェイムスと私だけ。
驚いたことに11名のうちあと8名とは全く言葉が通じません。会話が成り立たないのです。
その他の参加者の出身地はリトアニア、クロアチア、スロベニア、ユーゴスラビア、イタリア、ザイール、
サント・ドミンゴと先に紹介したブラジル女性。
でもジェイムスは2週目から来なくなったし、メリ・リンとは細かい話は無理でした。
  でも、せいせいと意思の疎通をはかれないから少々いらいらするけれど、なかなか陽気な連中で授業中も何かと楽しいから不思議でした。習った表現が共通語になるので同じレベルでわかりあえるのですね。
  といっても孫のいるのは私ひとり。平均年令30才くらいでほとんど既婚。子持ちは半分。
とにかく激動の国々から難を逃れてスイスにたどり着いたらしい人達や、生活のためにどうしても独語の必要に
かられてやって来た人達のようです。
  午前中は学校で必死に勉強して、午後から夜半まで働いて一家の生計を立てなければならない人。
スイス政府の難民救済政策で2ヶ月間の支援を得て学校に来ている人など。
中でも印象に残ったのはスロベニアの女性でした。
夫婦と子供3人で戦火の中を逃れ、目前で実姉2人が反対派に連れ去られたと、恐ろしい体験を涙を
浮かべながらジェスチャーを交えて話してくれました。
  私はふと戦時中のことを思い出し、50年も前に私達が体験したあの地獄絵の様相を彼女に重ね合わせました。私は「孫の子守をしています」などという呑気なことは口にだせませんでした。
それほどみんな真剣で、みんな真面目なのには驚きました。
  この小さなクラスにも毎日報道されている世界の縮図があることを身をもって体験し、
常に危険と同居している国の何と多いことか。
そして生きること、生き長らえることがいかに難しいかを目の前に見せつけられた思いでした。
でも彼や彼女達のあの明るさは何だろうか。その笑顔の美しさはなぜだろうか。
生きることへの執拗なまでの意地が彼らを勇気づけているのだろうか。
私は分からないまでもその笑顔にひと時の安堵を見いだしたように思えてうれしく思いました。
  日本では最近「国際理解」「国際交流」という言葉がよく用いられ、高校や大学には国際学部が目立つようになったけれど一体国際化とはどういうことなのでしょうか。
  スイスでは毎日がインタナショナルであり、それを避けて通ることは出来ません。
EC各国との交流は、日常の衣食住に始まってあらゆる場面に有効に影響しあうように考えられ工夫されていますが、時にはお互いの利害が直接ぶつかり合う場面にも遭遇します。
  スイスのEC加盟拒否は世界の注目を集めていますが、ヨーロッパの中央部にあってどこまで押し通せるのか。経済的にはかなり深く関わりあっていることを思うと、これからの決断が難しいと思われます。。
  日本には優れた世界的な学者や思想家がいないと言われて久しいですが、
日本が確かな歴史教育に裏打ちされて世界の人々と対等に渡り合え、さらに痛みをわかち合い励ましあって
共存できたらどんなに素晴らしいことでしょうか。
そのためにはまず自分自身を知ると同時に日本を十分に理解することがこれからの国際化への第一歩では
ないでしょうか。・・・次回へ続く・・

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第4回
4 人に優しい (第19号 1995.10.1発行号より)
 私は毎日努めて歩くことを心がけています。
静岡でも、ここバーデンでも、お天気さえ良ければ一時間の予定で早足で歩きます。
バーデンは中央にリマト川が流れて散歩コースは豊富ですから
毎回足の向くまま気の向くままにコースを変えて歩きます。
深緑の萌え出る様、紅葉から冬枯れへの移り変わり、雪解けから春の芽吹きなど
毎回の新しい発見を楽しみます。
  どこを歩いても、いつも散歩道が整備されているのには感心します。
気をつけていると市役所の職員が毎日手まめに各々の担当区域を巡回して、
ごみのまとめや道路や標識、手すりを補修しているのに出会います。
また朝早く清掃車が街中を走り回って人々の出勤前に仕事を終えるのです。
  「スイス」と聞くと、誰もがアルプスの山々を思い浮かべます。
地中海に面したフランスのコートダジュールからオーストリアのウィーンまで、弓状に連なる幅100q〜200q、全長1200qの大山脈のその中央部にスイスが位置しているからです。
  日本アルプスは特別な登り方をしない限り誰でも歩いて登るのが普通ですが、
スイスアルプスは、登山電車、ロープウェイ、リフト、ケーブルカーなど、
いろんな交通機関を利用して誰でも気軽に山の空気に浸れます。
然し、岩山や氷壁を登るには特別な装備と技術が要るので、そこからは登山の始まりです 。
いわゆるハイキングと登山の違いが実にはっきりしています。
私はよく登山電車を途中下車して歩いたり、
頂上までリフトで登ってから歩いて下るやり方のトレッキングを楽しみます。
眼前に広がる3000mから4000mの雄大なベルナー・オーバーラントを眺めながら下る道、
眼下に見る緑の牧草地から聞こえるカウベルの響き、一面のお花畑などあきることのない大パノラマ、
村に下れば古い教会やそれぞれの地域独特の家々、
どこに人が住んでいるのかと思うほど静かで物音ひとつしない昼下がり、
確かにレストランもあり、土産物店もあるけれど、そこだけに人が動いているという感じなのです。
  自然やそこに住む人々の生活が決して乱されないように、
ありのままに静かに彼等のプライバシーは守られているのです。
勿論、放送や宣伝の類は一切ありません。
地区によっては村人は電気自動車か馬車を使うことが規定されていますし、
アルペンリゾートのカンデルシュテークでは列車で車を運ぶカートレインを利用して自然保護に努めています。
  山を歩いて一番うれしいのは、簡単明瞭な標識が全国で統一されて表示されていること、
方向を間違えないための道標があること。
よく整備され道が歩きやすいこと。
ベンチやトイレの完備は実に有り難い、山々の頂には食堂があって休憩が出来るなど、
欲しいときに欲しい物が用意された人に優しい環境づくりがうれしいですね。
  日本と違って安息日の日曜日は殆どの店は閉まってしまいますので、
街はウィンドショピングだけになります。そこで人々は体力づくりを兼ねて努めて森や林に出かけるのです。
  交通の便利さとバラエティに富んだ楽しみ方の出来るこの国のやり方を羨ましく思いました。 ・・・次回へ続く・・
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第3回
3 頑固 (第18号 1995.7.1発行号より)

こうしてぼんやりコーヒーをいただきながら周囲を眺めていると、
この店の中がとても静かな雰囲気であるのに気づきます。
おしゃべりをする人、本を読む人、ものを書く人、ゆっくり午後のティータイムを楽しむ人。
人それぞれの時の過ごし方が誰にも邪魔されないで流れてゆきます。
日本の開放的な家屋での生活と違って欧米では自宅に入るまでに3、4回鍵が要ります。
閉鎖的というか、プライバシーを守るための手段か、また犯罪防止のためか。
いわゆる油断が出来ないから常に自衛に心がけているのです。
ここでは自分から行動を起こさない限り全く孤立してしまいます。
反面、24時間自分の思うままの時が過ごせることは実にありがたいことではありますが。
決して他人に左右されない。
勝手に入りこまれない自由と、ゆとりは何にも代えがたいけれど、
一方では、窒息しそうな、どうしようもない淋しさや人恋しさにも襲われます。
元気な若い人達や仕事のある人はともかく、退職老人や子育て中の主婦にはたまらないのです。
だから彼等はよく外出し、趣味を楽しみ、稽古ごとに励むのです。
勿論日本も同様だけれど、年配の人が素敵な帽子やコートを身にまとい、ゆっくりと街を歩き、 喫茶店でお茶をいただき、周りの時の動きを実感してからまたゆっくりと外に出ていく様はいかにもヨーロッパ的です。
雨に濡れた石畳を歩く人の赤いコートに赤い口紅、杖の先の赤い爪の色がよく合って何とも可愛らしい。
足どりはおぼつかなくても、お茶を一杯いただきに出掛けるために、時間をかけて丁寧にマニキュアを塗っている年老いた人の優しさを、この姿の向こうに見る思いです。
「いいなぁ」とつぶやきながらふと彼女の人生を想像してみたのです。
きっとこの坂道を何十年となく登り下りし、一歩一歩踏みしめて築き上げた彼女の暮らしがあるのでしょう。
スイスはアルプスの景色こそ素晴らしいものの国土は決して豊沃ではありません。
その上狭いし、山がちな国です。
この地形が頑固さを生んだのでしょうか。
1798年にフランスに占領された折、彼等はフランス文化を取り入れることにあまり積極的ではなかったのです。
当時のフランスの衣食住のあり方にもっと影響を受けていたら、
より開放的で独創的な国づくりになっていたことだろうと思います。
ここにも自国を見据え頑固なまでに自分達の生活を守る、
この国独特の決して安易な妥協を許さないやり方が見えてくるのです。
スイスの日本大使館によると、
「この国の国民性は、
@市民一人一人の自立意識が強く、また共同体所属意識も強い。
A一般に生活は質素堅実で勤勉かつ合理的な考え方に撤している。
B独系、仏系、伊系か、あるいは都市住民か地方在住かによって気質が異なる」
と発表されています。
よく世の中にないもののひとつは「スイス人のジョーク」と言われます。
たしかに冗談を言わない生真面目さと、全てに計画的で神経質なまでに物事をきちっと処理する心がけは、
私達日本人の情緒的で鷹揚な性格とは対照的です。
それぞれの国の地形的特色をよく表していると思います。 ・・・次回へ続く・・

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第2回
2 徹底する (第17号 1995.4.1発行号より)

スイスでは駅や列車の中で軍服に銃を持った若者達をよく見かけます。
それは月曜日に所属部隊に赴き週末に帰宅する民兵の姿です。
また軍関係の施設のある地域ではよく訓練の様子が垣間見られました。
私も自転車による長距離走の様子や野山を何十qと強行軍する一団に出会ったことがありますが、
みんな汗にまみれて力強く前進していきました。
この国は国民皆兵制で一般男子の20才から50才までは次のように兵役が義務づけられ、
女性の希望者は志願によって採用が決められます。

・20才で初年兵学校の基礎訓練が17週間あり、その後で所属部隊に配属されます。
・21才から32才までは復習訓練が3週間ずつ8回行なわれます。
・33才から42才までは補充訓練を2週間ずつ3回受けます。
・その後50才までは2週間の教練が1回あります。  

このような兵役期間は合計で1年間にわたり、この年令に該当する人達は、決められた期間だけでなく
常時自宅に武器、弾薬、装備の一切を保管し、兵役期間以外にも射撃練習が義務づけられています。  
この国の軍隊は殆ど民兵によって運営され、他国からの攻撃のあった場合のみ自衛のために
自国領土内で戦闘すると明示されています。
あくまでも国土と国民を守るための徹底した自衛策ですが、大部分の家庭に手軽に使える武器がありながら
それによる事故や犯罪をあまり聞いていないことに感心させられます。  
以前、駅舎の柱に銃を立てかけて談笑していた兵士を見て、倒れたり暴発しないか、
他人に持っていかれないかと気にかかったものでしたが、取り越し苦労のようです。  
最近の米国での銃による犯罪の激化や、銃規制のある日本でも不安な事件が目立つようになったことを思うと、
スイスのやり方は驚異的にさえ映ります。  
この兵役制度については、国民の間にも賛否両論あり、その見直しも始まって
徐々に改正されているとのことです。
またこの制度の体験者の意見の中には、
日常生活がともするとマンネリ化しやすい中で、 この訓練はひとつの刺激を与える意味もあること。
カントン中心で独自性が強い各地域、特に孤立しやすい山間部出身の青年達にとっては
訓練を受ける場所やメンバーの組替えがあり、多くの人々と寝食を共に出来るように計画されていること。
大変によい交流の場になり、友人も出来ること。
などの利点をあげたものもありました。  
昨年のニュースですが、ワシントンのスミソニアン宇宙科学博物館でのエノラ・ゲイの展示を巡って
日米両国の反応は大変異なり、それぞれの立場や考えを如実に表していました。  
一方国内でも「被爆者援護法」の制定をめぐる与野党の対立や
広島・長崎の方々の反対の声も大きく取り上げられました。  
戦争を知らない世代人口の増加している今日では、テレビの民族闘争などのニュース以外に
その悲惨さを知るよしもありませんが、戦争に彩られた世界の現代史をもう一度ひもといてみたいものです。
・・・次回へ続く・・

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第1回
1 筋を通す (第16号 1993.1.1発行号より)
平成6年4月15日に渡欧、三日後の18日に待望の初孫が誕生。
その育児手伝いのため、私のスイス暮らしが始まりました。  
子供の頃、「あなたの住んでみたい外国はどこか」と尋ねられると友人の殆どが「スイス」と答えたことを覚えています。  
確かに国土の60%に4000m級の山々を連ねるヨーロッパアルプスを背景に緑の牧草地の続く絵のような風光明媚な国、そして「永世中立国」という言葉は、つらく惨めな戦争を体験した私共の世代には理想の国として輝いて見えたものでした。  
スイスはヨーロッパの中央部に位置する面積4129の九州ほどの山岳国で日本との時差は8時間。夏時間の時期は7時間の差があります。  
人口は約670万人。
そのうち100万人位が外国人で、ドイツ統一後のヨーロッパ各地の民族問題激化に呼応して移住者もかなり増加しています。  
この国を歴史的にみると、紀元前200年頃短期間ローマに支配されましたが、殆ど影響を受けませんでした。
その後、1291年、今から700年ほど前に三つのカントン(州)が同盟を結び、ヨーロッパ各地に勢力をもった豪族ハプスブルグ家に抵抗し、例の伝説の人ウィルヘルム・テルのような弓の名人が山中で活躍してスイス連邦を誕生させました。  
現在、国内は26のカントンに分かれ、3029のコミューン(市町村)が独自の自治権を持って運営され、それぞれ多様で個性的な地域性を生み出しています。  
またフランス革命のあと、フランス軍がスイスに侵入し、1798年に占領した際、「ヘルヴェティア共和国」と命名したので、現在も切手などにその名称が残っています。  
この間に22のカントンは結束を強め1848年にスイス連邦憲法を制定、永世中立を外交の最大原則とする連邦国家が成立しました。
この永世中立を頑なに守るため、今だに国連に加盟していません。  
湾岸戦争の時にも、戦う必要のない国に銃を向ける理由のないスイスはあくまでも独自の原則を貫き通しました。
1984年に国民議会が国連加盟を議決しましたが、スイス国民とカントンはそれを拒否しました。
国連に加盟すれば伝統の永世中立国としての立場は筋が通らないわけで、政府や議会の決定に国民が反対を示すという、他の国ではとうてい考えられないほど頑固なまでの執念がそこにはありました。  
戦後、世界に例のない「戦争放棄」をうたった平和憲法をもつ日本は軍隊をもっていない。
しかし最近の海外派兵やPKO問題ではどう対処したらよいかと右往左往している我が国の実態とは、あまりにも違うのに驚かざるを得ません。  
これからの国際貢献のあり方や現在話題になっている常任理事国入りの問題など、もっと原則に基づいて十分に考慮し、国民ひとりひとりの納得のいく方向を打ち出して欲しいと思うのは、私だけでないと思います。
(注)国民投票の結果2002年9月、スイスは国連に加盟しました。・・・次回へ続く・・
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